喪の基準とは……
喪男とは何だろうと最近考えている。
そんな僕の最近は、ほぼ毎週一回おにゃのこと一緒に帰っていたり、後輩のおにゃのこと映画を見に行ったりってな感じだった。
もちろん、彼女はできていない……
彼女はできていないから喪男だろうと僕は思っていたが、友人に言わせると僕はもう喪男の基準から外れているらしい。
はてさて、喪の基準とは一体何なのだろうか?
ウィキペディアによると、
喪男と呼ばれる定義は
女性との交際経験が皆無(所謂「彼女居ない歴=年齢」の人)
告白されたことがない人
女友達がいない人
素人童貞以外の童貞(「真性童貞」とも)
であること。
となっている。ここから考えると、僕はぎりぎりアウトに入るようだ……
しかし、何か納得がいかない。(wikipediaの基準によると)もう、喪じゃないというのに……僕は喪で無くなることを願っていたのではないだろうか
一体、どうしてなのだろうか?
「喪男ってのは主観というか自意識によって生まれているのではないだろうか」と前に友人は言っていた。
今考えてみると、その考えは当たっていたような気がする。
それでは、僕はなぜ自分を喪と考えたくなるのだろうか。なぜ、自意識は喪であることを望むのあろうか?
やはりどこかにコンプレックスがあるに違いない。
おそらく、その一つは「告白されたことがない、女の子の方から誘われたことがない」というコンプレックスであろう。
これはかなり大きい。もし好かれているのなら、女の子から何らかの声がかかるのではないだろうか? しかし、今までにメールアドレスの一つも聞かれたことが無い。
それは嫌われているか、好きでも何でもなくどうでもいいと思われている証拠なのではないだろうか?
非常にそう思えてきて、頭が痛い……
それでは告白されるか、女の子からデート(と言えないまでも遊びに)誘ってもらうことができたら、心から喪男から脱出できたと思えるのだろうか。
そうなってほしいと思うが、しかしそうはならないような気がしてならない。
コンプレックスはまだまだ埋まっているに違いなく、もはや解決できないものもあろうだろうから。
喪男問題はかなり難しいですよね。生まれや育ちによって、その意識を植え付けられてしまうのだからね。
それと、これからの喪の基準は「異性から誘われたことがない、告白されたことがない」の二つにしませんか? 今の基準は厳しすぎると思うんですよ。
だめですかね?