的外れのことを言ってみる(すいません)

http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20060526

ひきこもる行動への承認を求めるのは、自由権(不作為請求)の問題。 いっぽう、放っておかれるとなし崩しに死んでゆくしかできないから「何とかしてほしい」というのは、社会権(作為請求)の問題。

「病人じゃないんだから、ほっといてくれ」という主張と、「閉じこもることしか出来ないから、助けてくれ」という主張を、同じ人がしているとしたら。

ここに、ひきこもりという状態を理解するときのジレンマがある。

これはそのまま、「不登校業界」と「ひきこもり業界」の対立に相当する


うーん、これはけっこう難しい問題なわけで……
しかし、「ひきこもる行動への承認を求めるのは、自由権(不作為請求)の問題」なんだろうか? いや、確かにそうなんだけど―何か、納得いかないところもあるんだよね。
何でだろ?


「うーん、不作為請求ではあるんだけど、『ひきこもりの自由を!』って感じじゃなくて、『僕は○○だから、ひきこもることを許してくれよ!』っていう感じだからじゃない?
まあ、そこで言われている主張が「『病人じゃないんだから、ほっといてくれ』という主張」のみだったとしたら、完全に自由権の問題になるんだけど。
それで、もし、、『僕は○○だから、ひきこもることを許してくれよ!』というニュアンスの主張だったら、「『閉じこもることしか出来ないから、助けてくれ』という主張」はジレンマでありうるも、話的には正当になものになるのよ」


は? どういうことよ。意味が分かりません、先生!


「まったく、ダメ兄ね。 いい? 『僕は○○だから、ひきこもることを許してくれよ!』という主張は、『○○だから外に出るがつらいんだ。でも、周りは認めてくれない。しぶしぶ、引きこもらないでがんばる。でも、○○だから周りからは排除される(あるいは周りとうまくいかない)。
何で、ひきこもるのを許してくれないんだ! ひきこもらせてくれよ!』
という心情が多く含まれているわけ。
 でも、その心情はかなりの部分を○○であることを許さない周りに作られているわけよ。本人は○○じゃなければ(○○でも排除されるようなことがなければ)、外に出たいのよ!
だから、本人の中では『ひきこもりたい気持ち』と『外に出たい気持ち(助けて欲しい気持ち)』があるわけ。
でも、周りはそれになかなか気づけないわけで、そこからくる主張が矛盾する物だと思っちゃうのね。

 これはある意味、社会システムの問題よね。○○でいてもよいって感じになれば出て行ける確率も高くなるでしょうに―だいたい、最初からひきこもらないですむわね。
でも、社会が変わる確率なんて少ないのよねー。
 だから、個人ベースでの対策が必要になってくるわけで…… でも、彼が○○でいてもよいとならなければ、苦しめられて、またひきこもってしまう可能性も出てくるし……
うーん、答えがでないわね」


うーん、本当に難しいね。というか、最初の引用文からどんどん話がずれてってない?


「うっ、確かに…… それに学がない私たちが語るなんて無理があったのよ。
ということで上の文はなかったことに。文字色を背景の色にして見れないようにしてよ〜」

だーめ。


ぶがしっ!

僕は妹の拳に殴られた。