すごい生き方に対する羨望と戯言


すごい生き方 (Sanctuary books)を読んだ。それで思ったことをつらつらと。



生きづらさが起こっている原因はひとそれぞれなので、
一概には言えないけれども、僕なんかは普通(普通に学校行ったり、
普通に会社に入ったりetc)に囚われて、生きづらさを感じている。
作者も普通にしなければというところに生きづらさを感じていたよ
うだし。

で、作者は常識に囚われすぎないようにしようと言っているわけだけれども、
僕らはどうやってそこから抜け出せばいいのだろうか?


そこの所が未だに示されないというのは、ちょっと悲しかったりもする。
まあ、試行錯誤しかないのかもしれないけれども……
でも、時間が圧倒的に足りないんだよな〜。開き直るわけにもいかんし。


やっぱり、ある種の導き(導きとか言っちゃうと宗教みたいだ!)は必要かも。

あるいはそれが今話題の「生きる力」や「人間力」ってものなのかとか思ったり。
ということは、若者に人間力つけさせたら企業はあまり得をしなくて、むしろ損するのか。
これは面白いかも……


あと、先人と出会って話を聞くのもいいかもしれない。どこかで会えればいいんだけどね〜。


ところで、僕らの社会にはある種の排除力があるわけで。それは犯罪者に対するものから、
ただ気に食わないやつに対するものまでさまざまで。
で、一旦、普通から排除されてしまうとなかなか戻れないっていうのがあるよねと。学校で下の
地位になってしまうと卒業するまでずっと下で淋しい学校生活しか送れないなんてことはざらに
ある。
学校は卒業があるけれども、会社とかそんなことになってしまったらもうきついかもしれない。


普通から排除されてしまった人間はどうやって生きていけばいいのだろうか? 
ここで常識に囚われない生き方というのが見えてくるわけだけれども、それは生活を成り立たせることができるのだろうか? 
実はそこのところが難しい。この間、蛸足くんと話していたときに「普通に生きられない人がそうじゃない生き方を目指そうとしても「普通じゃない生き方」のほうか難しいんじゃないのか?」
という話が出た。実際、違う生き方をしようと思って失敗してしまった人もそれなりにいるだろう。
今週のSPAは「人生[降り組]たちのその後」なんてのをやってたし……
だけど、これ以上「普通」に苦しめられるのは嫌だ……


僕らが生きていくっていうのは何て困難なんだろうか? 
普通に生きられず→かといって、何もしないわけにもいかなく→他のことをやってみて失敗してもフォローは無いし。
どこに希望を持てばいいんだ? 
明日はどっちだ!


ちょっと思ったこと。再チャレンジとかなんとか偉い人は言ってるけど、それはみんなが利用しやすい物なのだろう
か。また、ステップアップできる機会が増えるというのはいいけれども、「ステップアップできなければ絶対に幸せになれない社会」は逆に住みにくいよなと思ったり。ようはバランスじゃないかな。


まとめ的な何か―すごい生き方ができるってうらやましいと思う。僕自身も何か違う生き方を志向し、生活を成り立たせたいと思っているし。
ただ、「すごい生き方」がまるで桃源郷のようになって、社会不適合者(社会排除を食らった人)はそこを目指す以外希望がないって状況っていうのはすごくいきづらいよねと……
この問題は難しい。誰か改善策を挙げてくれ〜!


で、本の感想ですがいい本だと思いました。