嘆きしか与えられない


僕が喪であることを嘆くのは、「もてない」ことにたいしてだけではない。


その裏にある誰にも愛されない、誰にも許してもらえないことを嘆いているのだ。


恋愛をするということはお互いを認めあうわけで、他による自己の承認の形の中で一番多くの人が得ているものでないだろうか。


それを得られないということは、別の方法で認められなきゃいけないわけで、しかしのその難易度は非常に高いわけである(事業で成功する、テレビ(犯罪者報道やニート報道以外で)にでるなど)


いや、どうしたものですかね。何かいい方法があればいいのだけれども


ちょっと死にたくなってきた……